インドネシア留学 ~持続可能な水環境を目指して~

将来、東南アジアを中心とした水環境保全に貢献するためにインドネシアで修行中です。

英語には果たせない、話相手の母国語がもつ重要な役割とは

外国人とのコミュニケーションにおいて大事なのは英語だけじゃない

 

英語圏ではないインドネシアで生活する中で、拙いながらもインドネシア語を喋れるようになって気づいた事があります。

 

それは、非ネイティブの方とコミュニケーションする時における、“話相手の母国語がもつ重要な役割です。

 

では私がこの留学生活の中で気づいた、その重要性を「信頼」、「楽しさ」、「希少性」という3つの切り口から、本留学での実体験を踏まえお伝えできればと思います。

 

得られる信頼感が全く違う

正直インドネシアに来た当初は、バンドン工科大学の生徒はみんな英語が喋れることもあり、あまりインドネシア語学習へのモチベーションは高くありませんでした。ある程度英語が喋れれば別に困ることはないだろう、と単純に考えていたのです。実際に現地の学生と英語で楽しくお喋りすることができたので、それで最初は満足していました。買い物やレストランでの食事などの日常生活においても、物の値段を聞き取れたり、「ありがとう」といった最低限の現地語が分かれば特に困ることもなく生活できてしまうので、なおさらモチベーションは低いままでした。

 

しかし、色々あって短期間だけインドネシア語コースを受講することになりました。受講料も割と高額だったため「正直別に要らないなぁ・・・」なんて最初は思っていました(笑)。しかし、せっかくお金をかけて授業を受けたんだからと思い、試しに覚えたてのカタコトのインドネシア語を現地学生との会話で話のネタ程度に使ってみると、「おぉーーー!!!」と物凄く喜んでくれたんです。イメージ的には、日本で外国人が簡単な日本語を拙いながらも頑張って喋っているのを聞いたら、かわいいと感じたり、“親近感”が湧くあの感じと同じなんだろうなぁとこの時気が付きました。 それからは、インドネシア語を使うと相手が喜んでくれるのが単純に嬉しくて、それをモチベーションに勉強し、何とか簡単な日常会話程度なら出来るようになりました。

 

そして、なるべくインドネシア語で友達と会話をするようになると、ある変化が起きました。

 

英語でコミュニケーションを取っていた時にあった、"見えない壁"がどんどん消えていきました。その時は気づきませんでしたが、どうしても英語で話している時は、日本から来た"お客さん"のままだったんです。

 

インドネシア語で話すようになると、今までよりもう一歩踏み込んだ話題や、冗談を言い合うような機会が増え、会話の盛り上がり具合が確実に変化しました。それに伴って、明らかに以前よりも心理的距離が縮まりました。向こうから話しかけてくれることも増え、ようやく本当の意味での仲間に入れてもらえました。この時、一見かなりフレンドリーなインドネシア人でも、英語で話しているときはある程度の気を使われていたことに気づきました。

 

実際にある大きな日系企業インドネシア支社で働くインドネシア人の方にお会いした際に、「上司の日本人はもう何年もインドネシアに駐在しているのに全くインドネシア語を喋れないし、おそらく話そうとする気も全くない」と悲しそうな顔で話していたのが非常に印象に残っています。 海外に出たら英語が大事!と常に言われ続ける日本にいると見落としがちですが、相手の母国語を少しでも覚え、相手に寄り添う姿勢を見せることで得られる信頼感や親近感は、英語だけでは絶対に得られません。

 

 シンプルに楽しい

今まで色々とそれっぽいことを言ってきましたが、相手の母国語で会話をすることは単純に楽しいです。非ネイティブとの会話において、相手の言葉で冗談を言えば、会話の温度感は英語よりも断然に上がります。また、こちらがそのような姿勢でいれば自然と相手も日本語に興味を持ってくれる場合もあると思います。現在私は留学生専用の寮でアフリカ、ヨーロッパ、アジアなど様々な国籍の学生と生活していますが、みんなが「オハヨー!」とお辞儀しながら挨拶してくれたり、日本の女の子のナンパの仕方を教えてくれというので「コンド、ノミイコウ!」と教えて、実際にふざけて使ってみて断られている場面を見てみんなでゲラゲラ笑ったりしています(笑)。そういったやり取りは理屈抜きで純粋に楽しいです。

 

こうしてお互いの母国語の話をしていると、そこから文化の違いにまで会話が広がることもあります。例えば“昨日”という言葉ですが、インドネシア語では ”Kemarin” (クマリン)と言います。しかしこの単語は昨日という意味のほかに、昨日よりも前のことを指す「この前」という意味も持ちます。これでは会話でこの言葉が使われた際、それが「昨日」を指すのか、「昨日よりも前」を指すのか分かりません。この表現に疑問を持ち、これじゃいつのことを話してるのか分からないから困るんじゃない?とインドネシア人の友人に聞いたところ、「まあ別にそんな変わんないからいいんじゃない?」と言われてしまいました。時間に対する感覚の緩いインドネシアならではだなーと(笑)。

このように言語は国民の感性や文化の違いを反映している場合も多く、お互いを深く理解するキッカケにもなり得ます。安っぽい表現ではありますが、これって単純にとても楽しいことだと思います。

 

AIの発展により高まる「希少性」

英語が堪能な学生が多く在籍する非英語圏の大学で留学していて気づいたのは、英語が喋れること自体は別に何もすごくないという事です。よく考えれば当たり前なのですが、英語が喋れる相手と関わる中で、自分が英語を使えても別に相手は何もすごいと思わないわけです。それは現在の世界共通言語が英語であり、英語話者の約7割は非ネイティブであるこの世界において、英語は「伝えたいことを相手に伝えるためのツール」に過ぎないからです。日本にいると、英語を喋れることがすごい事であるかの様にどうしても思ってしまいます。しかし英語が喋れることの本来の意義は、この世界共通のツールと、自分の専門性という二つの要素を掛け合わせ、自分の価値を高めることでグローバルな場において活躍することだと思います。そのため英語が喋れることは、それ自体は特別すごいことではないけれど、自分の持っているもの、できることを発信するために必要な要素である、という認識でいます。

 

しかし現在AIの発展により、発話と同時に翻訳結果を出力できる機械などが話題となっています。そんな技術発展の目まぐるしい現代において、自分の価値を担保するための「伝えたいことを伝えるためのツール」である英語という要素の希少性は、非ネイティブと関わる中ではこの先どんどん低下していくと思います。なぜなら、伝えたいことを伝えるための英語の役割は、人が行うよりも機械の方が効率よく行うことができる、代替可能な要素だと思うからです。

 

そのような世の中の流れにおいて、先に述べたような「信頼を築くためのツール」として非常に大きな力を持つ”話相手の母国語”はどうでしょうか。今後いくら技術革新が進んでも、人と人が関わり合う中においては、“信頼”がもっとも重要なことは言うまでもないと思います。これは機械ではなく人にしか作り出すことができない、実に人間的な感覚のはずです。機械を通じて他の国籍の方とコミュニケーションを行うことが当たり前の世の中になればなるほど、自分の言葉でこのツールをうまく使い、相手の信頼を得ることのできる人材の希少性はさらに高まっていくに違いありません。

また、まだこのような世界が来るのはしばらく先だとしても、英語を使うことが当たり前のグローバルな場において、話相手の母国語を少しでも喋ることで、相手に「おっ!」と好印象を与えることができれば、他人との大きな差別化が図れます。この先グローバルな場において、自分の価値を担保するために必要な英語、専門性に加え、 “話相手の母国語”を三つ目の要素として掛け合わせることが、より自分の希少性を高めることに繋がるのではないかと思う次第です。

 

以上、本留学で感じた話相手の母国語の重要性でした。もちろん、英語だけでは相手との信頼を築くことができないという意味では全くありません。英語にもできることはご存知のようにたくさんあります。その英語とは別に、付加価値として話相手の母国語が大きな力を持つという事です。

もちろんそれをを日常会話レベルまで習得することはかなりハードルが高いとは思いますが、少しでも話そうとする姿勢を見せることで、相手への親和性は格段に上がると思います。もし非ネイティブの方と接する機会があるときには、是非とも簡単なあいさつや相づちだけでも相手の言語をってみてください。ググったらすぐに出てくるでしょうし、それが面倒であれば直接相手に「Helloってあなたの国の言葉でなんて言うの?」とまずは聞いてみるだけでもいいと思います。自分の国の言葉に興味を持ってくれたら必ず嬉しいし、きっと楽しそうに教えてくれて会話も盛り上がるはずです。